魔法の宿題プロジェクト大阪セミナー

≪平成27年8月22日≫
「魔法の宿題プロジェクト大阪セミナー」に友人と二人で参加しました。
私たち以外の参加者は、支援学校の先生方でした。

 

魔法のプロジェクト
魔法の宿題 全国セミナー 事例発表者および発表資料(大阪会場)

 

基調講演
「未来の学び 学校のコンフリクトの先に見えるもの」

     東京大学先端科学技術研究センター教授 中邑賢龍氏

 

ご講演の中で印象に残ったのは、
・今だけではなく、先を見据えての教育が大切。
・タブレットを使うのが目的ではない。子供がどう生きてゆくのかが目的。
・支援学校は託児所ではない。支援学校の教師には専門性が必要。
・ICTは訓練に使わない。子供の能力の一部に組み込む。(例 写真を拡大→弱視を補う)

 

活用事例発表の中では、井上先生のお話『通級指導教室での活用』が特に印象に残りました。

最後に、竹田先生のお話がありました。ワーキングメモリが弱い子にはタブレットは抜群に役に立つとのことでした。

有香は二学期からiPad Air 2を学校での学習に使い始めます。どのように使っていくのかを、これから先生と相談して決めていきます。
今回、このセミナーに参加して、時代の流れに本当に驚きました。もし、有香の小学生時代に学校でiPadなどを使うことができたら、黒板は写真に写せば良かったし、見えにくい教科書は写真で拡大すれば良かったし、あれほどまでの劣等感にさいなまれることもなかったのではないかと思います。

デコボコを愛せよ東京大学教授・中邑賢龍さん

朝日新聞(2013年 5/14)東京本社版の「オピニオン」より

 

 読み書きができない。人づきあいができない――。苦手な部分を異質と見なされ、学校や社会で挫折する大人や子どもは少なくない。特別支援教育が始まって6年。昨今の発達障害の「診断増加」で、対象者やボーダーの子は増える一方だ。彼らをどう受け入れ、未来を形作るのか。人間支援工学が専門の中邑賢龍・東京大学教授に聞いた。

 

 ――特別支援教育の対象の子やボーダーの子は、いまや小学校の普通学級の35人に2人はいるとされています。2007年から企業とタイアップして「DO―IT Japan」という障害のある子たちへの支援プログラムをされていますね。

 

 「当初は障害のある高校生の大学進学を支援する活動でしたが、最近は小中学生も対象にしました。高校生の支援をして分かったのは、日本の今の教育制度では、大学で素晴らしい研究ができる能力を秘めた子でも、学習面に少しでも苦手な部分があると高校までたどり着けていないということです。小中学校で『出来ない子』『ダメな子』とされ不適応を起こしてしまう子も多くいます。内申書も悪いため、進学に高いハードルがある。その過程で不登校になり引きこもったり、非行に走ったり。養護学校に進学する子もいますが、教科学習が不十分なため高等教育機関への進学は容易ではない。仮に高校に入っても、十分な配慮が得られず中退する子もいる。結局、仕事が見つからず、不安な人生を送らざるを得なくなるんです」

 

 「私の研究室では、仕事が見つからない若者30人ほどに働いてもらっています。中にはコンピューターで新しいプログラムをつくる人や、新たな機器を次々発想するような人が実際にいるんですよね」

 

 「特別支援教育ができて、発達障害の名前が知れ渡ったことで、ちょっと異質だと、何でも診断、診断です。学校でも『医者に行きなさい』『診断をもらったら補助教員をつけます』と。医師もとにかく診断名をつける。脳のどこが原因かという研究ばかり進める。でも診断で何が変わるでしょう。『○○障害で○○症候群の傾向も……』と言われても、親は何もできない。教師の中に、診断を聞いてその子に合った教育をできる人がどれだけいるでしょう」

 

 「日本にイノベーションが生まれなくなっているのはなぜか。そうやって『ユニークな才能のある勉強できない子』をつぶしてきているからです。計算を速く、漢字をきれいに。オールマイティーにまんべんなく勉強できることが教育では重視されているし、社会もそれを求めています。しかし、計算の速さが何に結びつくでしょうか? いまの日本に必要なのは特別支援教育じゃなく、初等中等教育の改革だと思います」

  

 ――昨年から、大分県佐伯市の公立小学校で、iPadを使う授業を始めたのもその改革の一つですか。

 

 「我々がやっているのは『あるテク(現在あるテクノロジー)』を活用することです。いまある機器をその子に合ったようにどう使うか。デジタルカメラだって、ICレコーダーだって、勉強するのに使えるものは何でも使えばいい。文字自体は読めるのに文章を目で追うと言葉が頭に入らないような『ディスレクシア』の子なら、音声読み上げソフトを使う。文字は読めるのに手で書くのが苦手な『書字障害』の子なら、キーボードで打ち込んだりデジカメで黒板を撮影したりする。知的な遅れがない発達障害の場合、勉強するために支障となっている部分を機器で補えば、受験して高等教育を受けられます。そういった『能力』を秘めた子が全国にたくさんいます」

 

 ――機器さえあれば、どこの学校でもできそうですね。

 

 「ところが、学校が壁になっています。情報教育では小学校からパソコンを使わせるのに、その子だけにとなると『不公平だ』『ほかの子が壊したら』と拒否される。それで佐伯市のように学校で広めることを始めたんですが、今度は『読み書きそろばんは誰もができて当然』という考えが邪魔するんです。国語では『紙の教科書でもiPadの中の教科書でもいいから、黙読してそこに書かれている作者の思いを考えて』という授業を、僕らはしてほしいわけです。そうすれば『読み』が苦手な子も、iPadの拡大文字や音声で、少なくとも文章は理解できる。ところが、学校ではiPadを使い『全員で一斉に音読を』と言う。これでは『読み』が苦手な子は全くついていけず、頭にも入りません」

 

 「私は、国語から読み書きを、算数から計算の分野を分離させるべきだと思っています。そして、読み書き計算だけをする『学習基礎能力』というような教科を新設する。読み書き計算は道具の使用を認める。そうすれば、理科的知識も豊富で、地理も歴史の年号も知っているのに、入り口の問題文が読めなくてつまずいている子が救われます。先生たちの『学力』の概念も変わってくる」

 

 ――でも、その先の大学入試での電子機器利用は広がっていません。

 

 「障害の有無にかかわらず、入試でパソコンなどを使えるようにすればいい。高等教育を受ける権利は誰にでもあるはずです。今の入試科目や出題方法には、現代社会のニーズにマッチしていない部分が出てきています。どの教科もオールマイティーにできる人間を選抜する大学に、多様性は生まれません。少々つまずく部分があっても、知識や興味に偏りがあっても、その分野での才能があるかないかで判断する入試制度と、入学後の支援体制が必要です」

  

 ――ツールは問わず能力を問う、ということですね。

 

 「私は、東京大学先端科学技術研究センターに、ロボットクリエーターの高橋智隆さん(特任准教授)を呼びました。彼のロボットの設計図は彼の頭の中にしかありません。作って発表して製品化するときに初めて設計図を描く。だれかと協力してじゃなく一人で作り上げるから独創的。設計図は後回しでいいんです」

 

 「彼と共に描く近未来はこうです。スマートフォンから手や足が伸び、首が生える。次々世代の携帯電話はロボットの形で実用化されている。肩にとまる妖精のティンカー・ベル、ゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじのようなものです。忘れ物をしそうになると『おい忘れているぞ』と声を出し肩をトントンたたく。文が読めなければ耳元で読んでくれる」

 

 「この6月には、小型のヒューマノイドロボットを国際宇宙ステーションに送ります。ロボットと一緒に学び生活する時代は確実に近づいている。そんな時代に、鉛筆で字が書けないことが何の壁になるんでしょう。今年から、しゃべれず動けない重度障害者のわずかな顔の動きや視線をモニターで捉え、自分でパソコン入力できる支援も始めました。テクノロジーでだれもが勉強できる時代はすぐそこにあるんです」

 

 「発達障害とされる子の中にも飛び抜けた才能を持つ子もたくさんいます。エジソンだって、スティーブ・ジョブズだって、発達障害の傾向があったと言われている。イノベーションを起こすのは空気が読めない人間なんだから、空気が読めない特性を大事にしておかなきゃいけないんです。この社会のみんなが空気を読めたら、変革は起きない」

  

 ――ただ、社会全体にそうした理解が簡単に広がるでしょうか。今春から障害者総合支援法がスタートし、障害者の法定雇用率も企業は2%に引き上げられましたが。

 

 「民間企業と『多様性理解研修プログラム』の開発もしています。ゲームを通じて他者との違いに気づかせる研修です。人は一緒でなくていいと理解し、偏っていても独創的で発想力のある人間を生かす職場がこれからの企業には不可欠です」

 

「『凹(ボコ)デザイン塾』もやっています。あえて不完全な凹の商品を作り、凹(へこ)んだ部分を人間が補うことで人が気づき考えるという、新発想の商品開発です。人もモノもデコボコがあることを大切にしたい。法定雇用率の達成は重要ですが、雇用率は超えていなくても『何十人もの障害者が自分にあった時間だけ適材適所で働いています』という会社も評価されるべきです。彼らを生かせる専門の派遣システムも必要でしょう」

 

「とがった部分を削り、凹んだ部分を埋めるモノづくり・教育は、人やモノを均一化し、社会の効率化を追求する上で重要でした。日本が、そこから脱却し、新しいモノづくり・教育に変えられるかどうか。誰もが生きやすい未来にとって、いまが重要な時期だと思います」